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2018-04-21

金剛寺 尊勝曼荼羅

午後からは雨も止み晴れて来て、天野山金剛寺へ向かうため山を降りている時にGoogle マップを見て、通り道に丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ)を見つけ、急遽寄っていただくことになりました。



午前中とはうって変わってまぶしいほどの晴天で、丹生都比売神社は想像していた通りの美しい神社です。



社内の西に神仏分離以前の御影堂・多宝塔跡地があります。その奥にひっそりとある石造史跡。
光明真言曼荼羅碑(時計の針の方向に梵字で光明真言が刻まれています)


大峯修験者の碑(大峯修験者(山伏)が大峯入峯に際し建てた碑)


脇ノ宿石厨子(葛城修験の御本尊「役の行者」の石像が安置されています)



これらの碑や石厨子を見て、弘法大師を高野山に導いた神仏融合の始まりの社として今もあることが認識できました。ここを教えていただかなかったら、私の丹生都比売神社の印象は随分変わっていたでしょう。

待ちに待った天野山金剛寺
帰りの閉門後の写真です。楼門の増長天立像に持国天立像も網越しなのが残念ですが見事です。


金堂の修復が完成し、「大日如来坐像」「不動明王坐像」「降三世明王坐像」が揃って戻られたのです。


奈良国立博物館で降三世明王坐像を見てから、ご本尊の大日如来に不動明王、降三世明王の一組が揃う姿を待ち望んでいたのです。

※画像はHPより

降三世明王坐像が脇侍としてあるご本尊は、穏やかで美しく言葉もなく魅入ってしまう大日如来様でした。写真や言葉では伝わらないのが本当に残念です。

金堂の横の薬師堂から御影堂、観月亭。



宝物館の方に移り、客殿からの庭園。


持仏堂には不動明王が祀られていました。


観蔵院は北朝の御座所であったところで、金堂奥の摩尼院は南朝の御座所としてあり、四年間も敵対関係にあった南北朝が金剛寺に在ったというのが驚きでした。


屋根にある花の形の瓦


外に出た時は拝観時間も過ぎて門は閉ざされていました。


牡丹桜やミツバツツジに芍薬と花もきれいに咲いていたのですが、今回は花にカメラを向ける余裕はありませんでした。

どこもが印象深く、同行下さった方達がいたからこそ得られたことも多く、今後にも続くきっかけになった濃厚な一日でした。

2018年4月18日

高野山立里荒神社

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